焼き菓子の匂いが好き。
クッキーやパウンドケーキが焼ける、あの甘い気配。
あれはなんだか反則だと思う。
お腹が空いていなくても、ふと引かれるように顔を向けてしまう。
コーヒーの香りも好きだけれど、焼き菓子の匂いは少し違う。
なんというか、「大丈夫そうな気がする匂い」なのだ。
理由はよく分からない。
子どもの頃から好きだったし、今も好きだ。
特に、仕事帰りに「今日はちょっと頑張ったな」という夜は、お気に入りの焼き菓子を棚から取り出す。
気分や好みに合わせて、その夜の相棒を選ぶ時間もまた格別だ。
たとえば、深く頭をほどきたい夜は、京都の老舗である有名店。私はここのお菓子が大好きだ。
箱を開けた瞬間から、心までほどけていくような深いお茶の香り。
本格的な抹茶を使った焼き菓子は、ほろ苦くて、なぜか罪悪感なく食べてしまう。甘いだけの焼き菓子とはひと味違う、このビターな大人な味わいが、慌ただしかった一日の最後に心を静かにしてくれる感じがする。
一方で、香ばしいバターの余韻に包まれたい夜は、芦屋「アンリ・シャルパンティエ」のフィナンシェをそっとお皿に出す。
袋を開けた瞬間にフワッと広がる、香ばしいアーモンドと芳醇なオリジナルバターの香り。周りのこんがりと焼けた少し香ばしい生地をひとくちかじると、それだけで今日一日張り詰めていた緊張感がほどけていく。
フィナンシェだけでなく、ふくよかなレモンの香りと優しい甘さが広がる「マドレーヌ」もしっとりとした口溶けで、爽やかな気分になりたい夜にはぴったりだ。リッチな味わいが、ほわっと心を満たしてくれる。
別に人生の問題は解決しない。仕事が楽になるわけでもない。お金が増えるわけでもない。
それでも、お気に入りのカップにコーヒーを淹れ、こだわりの焼き菓子をひとくち含んで静かに流し込むと、
「あ〜、今日はもうこれでいいか」と、肩の力が抜けていく。
昔の私は、もっと大きな幸せばかりを探していた。
けれど今は、その日の気分に寄り添ってくれるお気に入りの焼き菓子とコーヒーがあれば十分な夜もある。
そんな、自分を機嫌よくさせるための小さな贅沢を、これからも大切していきたい。

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