午後からの手術だった。
朝から何も食べることはできず、病室でただ時間が過ぎるのを待っていた。時計を見るたびに、まだこんな時間かと思った。手術までの数時間は、普段よりずっと長く感じられた。
夫は朝からずっと付き添ってくれていた。会話はしていたはずなのに、何を話したのかはほとんど覚えていない。それよりも、手術が近づいてくることばかり考えていた。
予定の時間になっても、なかなか呼ばれなかった。
前の人の手術が長引いているのだろうか。
そんなことを考えた次の瞬間、別の不安が頭をよぎった。
先生は疲れていないだろうか。
もし失敗したら。
考えてもどうにもならないことばかりが浮かんできた。手術を待つ時間は、体よりも心のほうが落ち着かなかった。
ようやく名前が呼ばれた。
私はベッドではなく、自分の足で手術室へ向かった。
廊下を歩きながら、ふと昔のことを思い出した。
父が手術を受けたとき、私は付き添いとして同じように手術室まで見送ったことがあった。そのとき見た光景を、今度は自分が歩いている。
あのときは見送る側だった。
今日は、その扉の向こうへ入っていく側になった。
手術室の前で、夫と別れた。
ここからは一人だ。
呼ばれるまでの間、待合の椅子に座った。肩にはバスタオルを掛け、うつむいていた。不安だった。怖かった。
そのとき、一人の看護師さんが私のそばへ来た。
「緊張してますか?」
そう声を掛けると、両肩にそっと手を添えてくれた。
「大丈夫ですよ。目が覚めたら、がんは無くなってるから。」
その言葉を聞いた瞬間、張りつめていた気持ちが少しほどけた。
うれしかった。心からほっとした。
今でも忘れられないのは、その言葉だけではない。肩に触れてくれた看護師さんの手だった。とても温かく、不思議なくらい安心した。
やがて手術室へ入った。
想像していたよりも、そこは明るく落ち着いた空間だった。壁はベージュを基調に、ところどころに淡いグリーンが見えたのを覚えている。
手術台に上がると、思っていたより少し幅が狭く感じた。
主治医が声を掛けてくれた。
「緊張してる?」
そして、こう続けた。
「大丈夫です。まかせてください。」
診察室で何度も会ってきた、いつもの先生だった。その見慣れた顔を見た瞬間、不思議と安心した。
看護師さんが心電図をつけ、続いて酸素マスクを口元に当てた。
「ああ、これが空気を送ってくれるのか。」
そう思った。
とうとう来たか。
左手には麻酔の点滴の針が入った。
「最初は冷たいものが通る感じがしますけど、大丈夫ですよ。」
その言葉どおり、左手から冷たいものが流れていく感覚があった。
「数を数えてください。」
そう言われた気がする。
いくつまで数えたのかは覚えていない。
次に目を開けたときには、私は回復室のベッドの上にいた。
担当の看護師さんが迎えに来てくれた。
「痛みはどれくらいですか?」
そう聞かれ、私は「5です」と答えた。
すると看護師さんはすぐに点滴へ痛み止めを入れてくれた。
そのままベッドのまま病室へ運ばれた。
こうして手術は終わった。
夫はその間、ずっと一人で待っていてくれた。
私にとっては、一瞬眠っていただけのような時間だった。
目が覚めたとき、がんはもう私の体にはなかった。


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