第四話「お茶付き合って」

退職まであと数日という頃だった。幸子さんから声を掛けられた。

「お茶付き合って。」

仕事帰りに二人でカフェへ行った。幸子さんと二人きりでゆっくり話すのは、これが初めてだったと思う。席に着くと、幸子さんはいろいろな話をしてくれた。

その中には、私が知らなかった話もあった。私の見ていないところで、嫌な思いをすることが何度もあったこと。

表には出さなかっただけで、ずっと我慢していたこと。そして、自分なりに一生懸命働いてきたこと。
話しながら、幸子さんは涙を流した。

私は黙って聞いていた。幸子さんは気の強い人だった。言いたいことははっきり言う人だった。だから私は、その姿に少し驚いた。話を聞きながら、私は戸惑っていた。

頭の中で、色々なことがぶつかっていた。そんなにひどいことがあったのか。私が見ていたのはほんの一部だったのだろうか。次々に考えが浮かんだ。

でも、何と言葉を返せばいいのか分からなかった。慰めればいいのか、励ませばいいのか。それとも、ただ聞いていればいいのか。私は結局、黙って話を聞くことしかできなかった。

しばらくして幸子さんが私に聞いた。

「凪さんは、いつまでこの会社にいるの?」

私は曖昧に答えた。すると幸子さんは少し考えてから言った。

「本当に意地悪で言うんじゃないよ。」

「気を付けてね。今度は凪さんに向くかもしれない。」

私は驚かなかった。

実を言うと、私もそうなる気がしていた。

だから、

「私もそう思う。」

と答えた。

幸子さんは少し黙った。

そして、

「巻き込んでごめんね。」

と言った。

私は思わず笑った。

「幸子さんがいなくなると、仕事もパワハラも不安だよ。」

冗談半分だった。でも半分は本音だった。幸子さんは笑わなかった。そして静かに言った。

「ごめんね。」

「本当はあと3年働きたかったんだけど。」

そう続けた。私は言葉を失った。それまで私は、幸子さんは定年だから辞めるのだと思っていた。本人も納得しているのだと思っていた。だが違った。

幸子さんは、まだ働きたかったのだ。

「今の状況じゃね……。」

そう言って、幸子さんは言葉を切った。私は何も返せなかった。

退職の日。

幸子さんは、あんなことがあったのに全員に向けて、丁寧な退職メールを送った。そして、恒例の花束が事務所へ届いた。

中島さんは座ったまま、幸子さんを見ようともしなかった。静かな退職だった。

帰り際、駐車場で最後の挨拶をした。私は用意していたプレゼントを渡した。

幸子さんは私の肩に手を添え、

「がんばれ。」

「負けるな。」

「いつでも相談して。」

と言った。そしてLINEを交換した。それが職場で交わした最後の会話になった。車に乗り込む幸子さんを見送った。

私は手を振った。

次は私だろうな。

それは分かっていた。覚悟を決めなければ。
そう思いながら、幸子さんの車が見えなくなるまで立っていた。

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この記事を書いた人

はじめまして、凪です。

「凪の森」は、私が学び、経験し、役に立ったことを、できるだけ分かりやすく残していく場所です。
乳がん経験を機にFP3級を取得(現在2級勉強中)

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