告知を受けたあと、まず会社へ報告した。
総務課も初めての経験だったらしく、少し戸惑っていた。最終的には本社総務課と直接やり取りすることになり、有休や休職制度について説明を受けた。
有休はほとんど残っていた。
会社の制度も思っていたより整っていた。
そのことは、とてもありがたかった。
けれど、別のつらさがあった。
休むことへの罪悪感だ。
今のように有休取得が当たり前の時代ではなかった。
私が長期間休むことになり、職場も慌てていた。
検査の予定を調整しながら働き、
休職の準備を進め、
引継ぎ資料を作り、
マニュアルを書き、
周りの人に仕事をお願いする。
やることは次々に増えていった。
私は休むための準備に追われていた。
一番つらかったのは、
周りの人に仕事をお願いすることだった。
申し訳なかった。
私が休むことで、誰かの仕事が増えてしまう。
それが分かっていたからだ。
だから、いっそ仕事を辞めてしまおうか。
そんなことも考えた。
そして毎日のように聞かれた。
「いつから休むの?」
「いつまで休むの?」
その言葉は、会社の事務所で部長から聞かれた。
当時の私は、その部長をデリカシーのない人だと思っていた。
けれど今振り返ると、部長も困っていたのかもしれない。
私がいつまで休むのか。
誰にも分からなかったのだから。
もちろん悪気はない。
仕事を回すために必要な確認だったのだと思う。
それでも、その質問はつらかった。
なぜなら、私自身が分からなかったからだ。
当時の私は、がんと診断されたらすぐに治療方針が決まるものだと思っていた。
手術の日が決まれば、その後の予定も見えてくると思っていた。
でも実際は違った。
どれくらい休むのか。
いつ復帰できるのか。
抗がん剤は必要なのか。
何も決まっていなかった。
医師に聞いても、
「今はまだ分かりません。」
という答えだった。
病気になった本人が一番知りたいのに、一番分からない。
だから私は会社にも答えられなかった。
答えたくないのではない。
答えられなかったのだ。
周囲は心配して声を掛けてくれた。
ある男性社員は、
「乳がんだから、内臓じゃないから大丈夫なんだよね。」
と言った。
きっと励ますつもりだったのだと思う。
今なら分かる。でも、あの頃の私はその言葉を素直に受け取れなかった。
また、本社の担当者はこう言った。
「一人休んだからって、会社がどうこうなったら、その会社は成り立ってないんです。安心して休んでください。」
今ならありがたい言葉だったと思う。でも当時の私は、
「私はいらない人間なのか。」
そう感じてしまった。
今振り返ると、みんな励まそうとしてくれていた。
心配してくれていた。それなのに私は、どの言葉もまっすぐ受け取れなかった。
「大丈夫」
と言われても、大丈夫だとは思えなかった。
あの頃の私は、少しおかしくなっていたのかもしれない。
それとも、不安でいっぱいだっただけなのかもしれない。
ただ一つ分かるのは、
あの時の私は、先の見えない毎日を必死に歩いていたということだ。
そしてもう一つ、
答えられない質問があった。
「抗がん剤はするの?」


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