幸子さんが退職してしばらくすると、私はあの言葉を思い出すようになった。
「今度はあなたかも。」
あの時は半分冗談のように聞いていた。
でも、その言葉は少しずつ現実になっていった。最初は仕事のことだった。困っている中島さんを手伝おうとすると、
「俺が教えるから、しゃしゃるな。」
と河野氏に言われた。中島さんへ話しかけようとしても、会話に入れないようにされることがあった。
以前なら普通にできていたことが、少しずつできなくなっていった。
中島さんは次第に河野氏の言うことを優先するようになった。私が何かを教えようとしても河野氏が間に入る。
話しかけても会話が続かない。私は少しずつ、自分の居場所が狭くなっていくのを感じていた。
大村氏は、その様子を見ていた。大村氏から直接何かをされた記憶はない。ただ、止めることもなかった。
幸子さんが退職してから、電話はほとんど私が取るようになった。
風邪で声が出ない日もあった。それでも電話は鳴る。私は受話器を取った。誰かが代わってくれることはなかった。
一度もなかった。
私は次第に、それが当たり前になっていった。そんな中で河野氏は言った。
「新人だから電話取れとか、ないからな。」
「今どき電話が取れたからって何なん。」
「電話なんか取らんでいいんだわ。」
私は意味がよく分からなかった。電話を取ることも仕事の一つではないのか。
そう思ったが、何も言わなかった。病気で休業した時には、
「あーあ。ほんと、やってられないな。」
「誰が代わりするん。」
と言われた。復帰後には、
「一人抜けても何にも変わらんかったわ。」
「おる意味あるん。」
とも言われた。河野氏が主任になってから、職場の空気はさらに変わった。
お客様からの伝言が私に伝わらなくなった。業務に必要な連絡も共有されないことがあった。河野氏は、わざと聞こえるように言った。
「中島さんには送っとくわ。」
私には送られなかった。課長からの指示も同じだった。最初は気のせいだと思った。
忙しくて忘れているだけかもしれないと思った。だが、それは何度も続いた。
やがて私は、自分だけが情報から外されているように感じるようになった。
私は誰にも言わなかった。
課長にも、部長にも、家族にも。
相談しようとは思わなかった。どうせ飽きる。そのうち終わる。そう思っていた。
新しいターゲットが現れない限り、今度は私が標的になる。ただそれだけのことだと思っていた。だから耐えようと決めた。
幸子さんがお茶の席で言った言葉を思い出していた。
「この馬鹿が、くらいの気持ちでいなさい。」
私はその言葉をお守りのように使っていた。
腹が立つ日もあった。悔しい日もあった。それでも心の中で、
「馬鹿が。」
と呟いてやり過ごした。どうせ飽きる。そのうち終わる。私は何度もそう思った。
一年が過ぎた。二年が過ぎた。三年が過ぎた。
それでも終わらなかった。そして気が付けば、あれから八年が経っていた。
今も続いている。
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